ドローイング空間

3D-CADを中心に、雑多なことをかいています。

再試験で燃費のよいデータだけを抜き出して報告データとして採用するのは不正なのか?

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三菱自動車の燃費問題、燃えてます。

 

飛び抜けて良好なデータは、チャンピオンデーターと呼ばれ、通常、再現できません。このデータを報告書や公的文書に使用するのがいけないかというと特に問題がないというのが私の認識です。学術分野では一般的な慣習です。

 

 

一方、品質保証分野や製品開発分野では、測定データとして記録はしますが、公開しません。再現できない良好すぎる値は、自分の首を絞めるので、握りつぶします(異常値として排除します)。これらの特別な値は、一般に、測定や操作ミスではなく、真の値です。管理していない条件の中に、値を大きくかえる要素があることを示しています。とはいえ、その条件を見つけるのは困難な上、たとえ見つけても、生産設備の変更が必要になるので、見つけたとして公開したほうがいいのか、悪いのかは、すでに技術問題ではなく、社内政治のバランスの問題になります。つまり、影響の高いパラメーターを探す行為自体が、社内政治に関連する問題になるので、こっそり、探し出す必要があります。

 

生産管理部門から、品質保証部門に、恣意的なデータの採用を求めるのは、…。それぞれの企業によってさまざまな場合があると思います。これも同じく、すでに技術問題ではなく、社内政治のバランスの問題になります。とはいえ、問題を起こしては、後始末が大変なので、出荷先、使用用途を判断し、たとえ規格内でも問題予想されれば、出荷ロットを差し替えるなどの対応が日常です。

 

この問題を発生させないための綱渡りは、通常、全く評価されません。問題が発生していないので、誰でもできると判断されます。とはいうものの、業務歴が長いエンジニアは、うまく立ち回ります。おそらく、これも社内政治や人間関係で、いたるところで弱みや公開できない情報を握っているのだと思います。ただそれは、一部の人間で、ほとんどは、リストラの動きが起こるときれいにいなくなります。調整役につかれたということも原因の1つではないかと思います。

 

以前、こんな記事を読みました。水力発電所で、長期間トラブルなく運転してきた運転員をどう評価するか?そこでは、特別な評価枠を作って対応しているということです。素晴らしいことです。通常の評価体系では評価できないということでした。問題を起こさないこと自体が、高い技能として評価されるべきなのですが、実際にはどうなのでしょう。少なくとも欧米から導入された成果主義では、実現できていないと思います。

 

話は、それました。さて、結論です。

おそらく、学術分野で成果を上げている人を中心に行うと、その分野の慣習から、飛び抜けて良好なデータを報告書に採用するのは当然の帰結です。

 

不思議と考えている人が不思議です。